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石丸謙二郎の公式ブログ更新情報

石丸謙二郎のオフィシャルブログ更新情報です。

石丸謙二郎

  • 出る水入る水

    2018/12/12 10:07

    e0077899_1062685.jpg 夜中に水を飲みますか?
    眠っている最中に目が覚める。
    なぜか覚める。
    原因は、トイレ休憩だ。
    膀胱危機管理組合のストライキだ。
    「もう行った方がいいんでないの?」
    起きたくないのに、「是非」と薦められる。
    いつからこの薦めが始まったのだろう?
    たぶん、5年ほど前から・・つまり60才。
    還暦とはよくまあ、表現したもので、
    薦めの儀式を持ち込んでくれる。
    下から出したのなら、上から入れよう・・ってんで、
    水分を飲みなさいと、喉がかわく。
    そこで、ペットボトルにお茶を満タンにして、
    枕元に置いておく。
    ここが面白い。
    どうやら人は、出した分だけ飲むようである。
    500CC出したら、500CC分飲む。
    1リットル出したら、1リットル飲む。
    きちっと律儀に飲む。
    こう言うと、
    「アンタ、500CC出したって、なんで分かるんかい?」
    眉をひそめる方がいる。
    そんな方には、この過去ログを見て貰うしかない。
    《ヤカンで沸かす湯の量》2017:6月28日e0077899_1061224.jpg
  • 真冬の水シャワー

    2018/12/11 07:46:51

    e0077899_7453452.jpg 「さむい!」
    身体が縮こまる時がある。
    服を着こんでいる時に、それが起こった場合、
    さらに着こめばなんとかなる。
    しかし、裸でいるしかない時は、そうはいかない。
    そのその昔、独り身の頃、風呂釜が故障し、
    わけあって修理がままならない冬があった。
    真冬にお風呂が沸かせない。
    湧かせないどころか、お湯そのものが蛇口から出ない。
    じゃ、風呂に入らないのか・・というと、
    そういう訳にもいかない。
    しかたなしに冷水で、通常の風呂浴びにとりかかる。
    通常とは・・・
    頭を洗い、身体を洗う作業である。
    真冬の水は、冷たい。
    キンッと音がするほど冷たい。
    頭髪をシャンプーでゴシゴシする辺りまでは、
    なんとかなるが、それを洗い流すとなると・・
    びゃあ~~~~
    悲鳴が出る。
    ま・そこはなんとか通過したとしよう。
    問題は、全身洗い。
    これも、アカスリでゴシゴシ作業まではなんとかなる。
    なんとかなると言ったものの、すでに唇は真っ青。
    足のフクラハギがこむらがえりを始めている。
    さて、ここからだ・・
    全身に、シャワーという名の、
    噴き出し冷水を浴びせることになる。
    想像するだに恐ろしい。
    丸い蛇口を自分に向ける。
    向けなくてはならない。
    ここで、覚悟が決まる。
    「南極、はじまりま~す!」
    ジャ~~~~~~~~~~
    不思議なことに、悲鳴はない。
    覚悟さえすれば、悲鳴が出ないと悟る。
    泡を落とすに30秒間~1分、
    信じがたき時が過ぎてゆく。
    この冷水全身洗いが、冬の間、延々続くのである。
    毎日続くのである。
    雨の日も、雪の日も・・
    そう、雪の日は、さすがに風呂をやめようかと悩んだ。
    しかし、「ここはひとつ」という言葉が浮かんだ。
    「ここはひとつ、雪の日こそ冷水を浴びようではないか!」
    行者的な発想にとりつかれた。
    頭の中に、氷の滝にうたれている自分が浮かぶ。
    今ここに、
    こおり水をシャワーにして浴びている私がいる。
    なばんだむ なばんだむ
    雪降る窓を眺めながら・・・
    e0077899_7445397.jpg 富士山の噴火口内にもぐる
  • まつ毛は白くならない

    2018/12/09 10:41:48

    e0077899_10413068.jpg ふむ・・・まつ毛は白くならないのか?
    髪の毛や眉毛や体毛は、年とともに白髪になる。
    もれなくなる。
    しかし、まつ毛が年と共に白くなった人は見たことがない。
    年を経ると、白くならないのか?
    だとすると、まつ毛は相当頑張っていることになる。
    他の毛はすべて、力をなくし白化現象が進んでいるというのに、
    白くならない努力をしている事になる。
    常にふんばっている生活をしている。
    若さを保つというのは、そういうことだ。
    常にふんばっている。
    落下しないように、岩壁で踏ん張っているのに似ている。
    身体のほとんどの機能が衰えていくなかで、
    まつ毛だけは健気に、ふんばり続けている。
    この『ふんばり』を科学的に調べれば、
    白髪防止に役立つのではないだろうか?
    男子はともかく、世の女性の幸せに、
    おおいに貢献するのではなかろうか?e0077899_10411189.jpg
  • 靴ヒモを結べヨ

    2018/12/09 10:37:24

    e0077899_1036221.jpg 「靴ヒモを結べヨ!」
    時折、がまんがならず、指摘することがある。
    靴の結びヒモをだらしなく結んで、挙句にほどけて、
    そのまま歩いている若者にモノ申している。
    ただしコレは、10代の反抗心あふれる若者に対してではない。
    その時代には、当然グレる。
    わざとグレた振りもする。
    靴ヒモも結ばず、ズボンのベルトも結ばず、
    (大分弁では、ずんだれて)過ごしている。
    その話ではない。
    いい年こいて(いい大人になって)、
    靴ヒモさえ結ばずに歩いているとは、なにごとだ!
    右足のほどけた紐を左足で踏んだら、転ぶだろ!
    今、地震が起きたらどうすんだ!
    そんなで、走れるのか!
    近くにいる人を救えるのか!
    人間としての、矜持をどう考えているのか!
    テーブルを叩き、拳を空につきあげてみた。
    「靴ヒモを結べヨ!」
    最近、この言葉を吐いたとき、
    よくよく見たら、その若者が、
    靴のかかとを踏んでいることに気付いた。
    ここで、私は、ガックリとコウベをたれる。
    (そんなでいいんか)
    私は、生まれてこのかた、
    靴のかかとを踏んでこなかった人間である。
    真面目とか、そういう事ではなく、
    常に走ることを考えているからである。
    それは別に、窃盗で追いかけられるとか、
    ボールを取りに入った他所のウチの庭で、
    犬に追いかけられるとかではなく、
    あくまで、自然災害時の走らざる状況を、
    想定していると言っていい。
    あるいは、「いざ鎌倉!」に備えているとも言える。
    言葉を変えるならば、いつ肝心なシーンが降りかかっても、
    すぐに対処できるように備えている最初の一歩が、
    《靴ヒモのシメ》であり、
    《かかとを踏まない》である。
    「オイ、えんどう(仮名)かかと踏むな、靴ヒモしめろ!」
    撮影現場で私の罵声がとぶ。
    スタッフのあんどう君は、ヘイヘイとうなずきながら、
    いっかなヒモを結ぼうとしない。
    しないどころか、あろうことか、
    登山靴のかかとを踏んでいる。
    というより、よくまあ、
    じょうずに登山靴のかかとが踏めるもんだ。
    さらには、ビックリしたことに、
    その後、左右逆に登山靴を履こうとしていた。
    ん・・・もう知らん!e0077899_1036895.jpg 大分県 国東半島 行者屈
  • 将棋はパラパラパラパラ

    2018/12/09 10:31:53

    e0077899_10312068.jpg アナタは将棋の対局を見たことがあるだろうか?
    テレビの将棋対局を見た事があるだろうか?
    藤井聡太(ふじいそうた)ブームで、
    将棋界が賑わった今年であるが、
    今は、ソレを忘れよう。
    見た事がないと言う方に、面白い観方を教えたい。
    まず、将棋番組を録画する。
    いつやっているか分からない方は、
    毎週、土曜日、教育チャンネルで、
    朝10時頃から2時間予約してみよう。
    そんで、再生だ・・
    ただ再生するのでは、面白くない。
    アナタのビデオデッキに、
    《100倍速》が組み込まれていますか?
    ソレ使いましょう。
    100倍とは、1秒間に、100秒分進むという意味だ。
    つまり、
    「え~とぉ~」
    と、3秒ほど考えたら、300秒(5分)過ぎている。
    この機械のテクを利用してみよう。
    100倍速再生が始まる!
    テレビ画面は、将棋板のアップだ。
    将棋板を天井あたりから俯瞰で撮っている。
    すると、将棋の駒が、もの凄いスピードで動き出す。
    一秒間に10手以上動く。
    人が、ウンウンうなって考えに考えた挙句にさした手が、
    機械は、我関せずとばかり、すっ飛ばす。
    近未来SF映画の最高速映像ぶっ飛びの、
    高速で動く。
    右に左に上下左右。
    盤面から駒がいなくなったり、打ち付けられたり!
    そして・・・時折、それが巻き戻される。
    実は、将棋の映像放送は、解説者がいて、
    盤面の駒を進めたり、駒を戻したりしている。
    さあ、
    その模様が、100倍高速で展開されるのだ。
    擬音で表現すれば、
    パラパラパラパラパラパラパラパラパラパラパラパラ、
    と進み、
    パラパラパラパラパラパラパラパラパラパラパラパラ、
    で戻ってくる。
    ここで、私は気付いた。
    このパラパラを100倍速ではなく、
    1000倍速、いや一万倍速で感じ、
    頭の中でやっている人がいるのではないか?
    そう・・・
    将棋の棋士。
    かつて、こう呼ばれた名人棋士がいる。
    《一億と三手読む男 佐藤康光》
    あっ、今も現役か・・
    パラパラパラパラパラパラパラパラパラパラパラパラe0077899_1031671.jpg
  • ネギ好き人間

    2018/12/09 10:16:37

    e0077899_10151176.jpg ネギが好きである。
    こう宣言すると・・・
    「オマエよりオレの方が好きだ!」
    必ずと言っていい反応がある。
    さほど、ネギにはコダワル人がいる。
    ネギに関しては、
    誰よりも負けたくない人たちで満ちている。
    もし、運動会の徒競走で、
    《ネギ好きレース》と銘打てば、
    我も我もと、老若男女どっちゃり現れ、
    収集がつかなくなるやもしれぬ。
    *老若男女(ろうにゃくなんにょ)
    ナレーションで、いつも、
    「ろうじゃく」と読み、叱られる。
    それはさておき・・・
    最近気付いたのだが、
    ネギ好き人間には特徴がある事がわかった。
    ネギ好き人間は、
    《ネギが好きなことを、いばっている》
    どういうことか?
    例えば、鍋を皆で囲んでいるとしよう。
    そんな時、刻みネギの器を見つけて、口走る。
    「ネギ取って!オレ、ネギ好きなんだヨ」
    まわして貰い、ガバガバと自分の小皿に取り込む。
    「なんかネ、昔からネギが大好きでネ、ガハハ!」
    ネギ好きならば、許されると思い込んでいる。
    つまり、いばっている。
    「納豆にネギのいる方ぁ~?」
    『ハイハイハイハイ、下さい下さい!』
    「ハイは一回」の教えを無視し、
    器を奪って、ネギを大量に、己が器に放り込む。
    『いやぁ~生まれつき、ネギが大好きでさあ~~!』
    聞かれてもいないのに、いばっている。
    だからもし、聞かれでもしたら大騒ぎになる。
    『あのネ、ネギをサ・・』
    一時間くらい平気でネギ自慢が始まる。
    のど自慢ならぬ、ネギ自慢大会である。
    カ~~ン!
    鐘がひとつ鳴ったのに気づかず、
    自分がどれほどネギが好きなのかの、
    終わらないトークが続く。
    その間ずっと、いばりとおしである。
    世の中のネギは、
    すべて自分の為にあるが如きの解説すら聞かれる。
    立ち食い蕎麦屋に置かれてある、ネギ取りピンチが、
    わざと狭くしてあって、少ししか取れない事に、
    憤りを感じている様子まで、
    パントマイムで根掘り葉掘り表現してくれる。
    そのピンチを開く時の、
    グッと手にチカラをこめる様子は、
    どう見ても、いばっているとしか思えない。
    あの立ち食い蕎麦屋のネギ箱のピンチを開くのは、
    違反のハズだ。
    恐らく、店のご主人、もしくは経営者は、
    「違反」だと哲学している。
    ところが、ネギ好きは、それをも超越して、
    無理やり取り込もうとしている。
    その行為は明らかに、いばっている。
    ネギ好きなんだから許されると、いばっている。
    じゅるじゅる~~
    蕎麦を食い終わり、汁は残したが、
    大量に摂取したネギは残らず食ったようだから、
    許すとしようかネ。e0077899_10144083.jpg
  • 落石注意の山道を行くと

    2018/11/30 16:58:50

    私が岩に登ろうとしている。e0077899_16555438.jpg
    この直後、もし、岩が崩れたとしたらどうなるだろう?e0077899_16563563.jpg
    こんな事になったあげく、道を塞ぐかもしれない。e0077899_1657027.jpg (私が崩したワケではない)
    道路の崩壊は、山では日常茶飯事である。
    修復する方たちがいなければ、
    地図に道が載っていても、通行できない。
    カーナビが、「お薦めルートです」と強引に導いても、
    通行不可である。
    たとえば、本日最初にその道を通行していた車が、
    自分だったとして、
    こんな状態だったら、どうだろう?e0077899_16575223.jpg
    この岩を動かせるだろうか?
    もちろん谷底に落とすのは違反である。
    道のはしっこまで、うんこらしょと運ばなければならない。
    こうやって落ちているのならまだしも、
    道上にあるという事は、
    「昨夜のうちに落ちてきましたヨ」
    と胸を張って証明しているようなものだ。
    いや、ついさっき落ちてきたのかもしれない。
    っという事は、今落ちてきても不思議ではない。
    常に落石の危険の中で、山道を進まねばならない。
    登山に行く時は、山を登る危険とともに、
    岩が我が頭上にふってくる恐怖を乗り越えなければならない。
    車の場合、
    滝田隊員のように、行きも帰りもただ眠っている人は、
    怖くもなんともないだろうが、
    私の様に、目と耳を最大限、尖らせて運転している者としては、
    山道は、その恐ろしさと美しさを両天秤にかけて、
    なんとか吊り合っている微妙な心持ちなのである。
    「運を天に」
    その言葉は知っている。
    知ってはいるが、肝心のその、
    天から岩がふってくるんでネ。e0077899_1658870.jpg
  • 井上靖の富士山

    2018/11/30 08:59:53

    e0077899_8583917.jpg 井上靖の随筆本《穂高の月》
    その中に、この一節がある。
    一日が終わろうとする暮れ方の富士が好きだった。
    日本列島全体にいま夕暮れが来ようとしている、
    そんな思いを懐かされるからである。
    井上靖は、小学生時代を伊豆の湯ヶ島で暮らした。
    湯ヶ島といっても、島ではなく海はない。
    伊豆半島のど真ん中に位置し、自然だけは豊かにそろっていた。
    その中で、富士山は格別だったようで、
    遠くに見える富士の記述は多い。
    その山を、
    日本列島の頂きに例えるあたりが面白い。
    静岡県の伊豆。
    ここに住む方たちにとって富士は、あって当たり前。
    わざわざ観に行く山でもなく、
    目のスミに入っている神棚のようなモノである。
    何かの時に、目をやり、ホッとする山と云える。
    日本列島全体にいま夕暮れが来ようとしている
    ぼくらが何となく感じているイメージを、
    たったこれだけの文で、表現してくれた。
    これまで何度も夕暮れの富士を、
    見たり、写真を撮ったりしてきたものだが、
    この一言は出てこなかった。
    我が芝居の原点、作演出家のつかこうへいは、
    舞台《熱海殺人事件》の中で、役者にこう喋らせた。
    「富士をみたら・・・富士をみたら・・・
    それは、わたしだ!」e0077899_8582877.jpg
  • 栃ノ木とホウの木 どっちの実

    2018/11/30 08:47:40

    e0077899_846149.jpg 《栃ノ木》と《ホウの木》
    このふたつの区別がつきにくい。
    私としては、葉っぱで判断しているが、
    人に説明するのが難しい。
    ホウは、ほう葉のホウの木だ。
    ほう葉焼きなどと云って、旅館などで食事時に、
    コンロの上で茶色の葉っぱの上に肉などを乗せ、
    焼かれている。
    ホウの木は山の中で頻繁にお目にかかれる。
    我らの隊員にも、ホウの木があるとすぐに教える。
    すると、滝田隊員はもれなく、
    「ホウ」と声を漏らす。
    試しに一度の山行きで、5回ほど指摘したら、
    5回、「ホウ」と返してくれた。
    お付き合いは完璧である。
    さて、栃ノ木。
    栃木の栃ノ木と言っていい。
    確かに栃木県の山に登っていると、
    川沿いに栃ノ木が現れる。
    武尊山(ほたかやま)や、皇海山(すかいさん)などでは、
    栃ノ木だらけの場所もあった。
    秋にその木の下に注意していると、
    栃の実が落ちている。
    一見、栗の実に似ている。
    栗はイガイガに包まれているが、
    栃の実は、むき出しの一個の実。
    栗に似ているからといって、
    焼いて食おうなどと思わないほうがいい。
    えぐい。
    中身を取り出して、擦ってゴリゴリして、
    なんとかして、どうとかすると・・
    栃餅ができる。
    淡い繊細な食べ物になる。
    ホウと違って、この木は大きく太くなる。
    水を好むので、川のほとりにとても高い樹を見つけたら、
    その下で実を探してみるのが楽しい。
    見つけたら滝田隊員にさしだす。
    ホウじゃなくて、
    「トチノミだヨ」
    『どっちのみ?』
    返しは完璧である。e0077899_8462733.jpge0077899_8463888.jpg
  • 肉汁飛びちり餃子

    2018/11/29 10:14:38

    e0077899_1013477.jpg 私は、猫舌である。
    猫舌ばかりは治らない。
    熱い風呂に入れない人だって、いつかは入れるようになる。
    しかし、舌は無理だ。
    鍛えることができない。
    熱いモノを飲めるように、鍛えてみた事はないのだが、
    とても恐ろしくてそんなマネはしたくない。
    実際熱いお茶をフウフウやって飲むという行為は、
    徐々に鍛えている試練になっているハズなのに、
    いまだに飲めないという事は、
    一生熱いモノが飲めない舌を持っている、
    と言わざるをえない。
    そんな折、街を歩いていると、こんな看板(冒頭写真)が・・
    《肉汁飛びちり餃子》
    う~~む
    実にうまそうな表現をした品名。
    しかし、どう推察しても、アツアツであろう。
    というより、アツアツを食べなきゃ意味がない物体だ。
    《肉汁入り》の表現でも、充分うまそうなのに、
    《飛びちり》を参加させている。
    「服の損傷うけたまわりません!」
    と書いてあるようなものだ。
    私が猫舌なのを失念して、店に入ったと仮定しよう。
    椅子に座るや、壁書きの当店おすすめ品を指さすであろう。
    もちろん、《肉汁飛びちり餃子》!
    待つこと数分。
    目の前に、湯気をあげたソヤツがある。
    ゴクンと喉をならし、箸を割る。
    この辺りで、猫舌人間の資質が頭をもたげる。
    猫舌人間は、
    なぜか自分が猫舌であることを忘れる習性がある。
    猫は、片足を挙げてお股をペロペロしている時に、
    何か話しかけると、そっちに意識がいってしまい、
    足を挙げたまましばらくボンヤリしている事がある。
    足挙げという仕草を忘れているのである。
    同じ事が猫舌人間にも起こる。
    肝心なことを忘れる。
    熱いモノが目の前にあるのに、
    「旨そう」という熱望にさらされると、
    猫舌の体質を忘れてしまう。
    ガブリッ
    ぎゃあああ~~~~~
    もはやこいつは、品名をさらに発展させて、
    店内では、こう書いて貰いたい。
    《肉汁飛びちりかぶりつき餃子ギャ~》e0077899_10133119.jpg 赤湯のアツ風呂